落語の旅人、庭乃雀でございます。
今年ほど花を堪能した年はなかったのではないかなあ。
梅、椿、桃、桜、花を追いかけて毎日万歩計は一万歩を越えました。
お花見スポットを数多く有し、存外私の地元は花にあふれた町なのでした。
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2004年から始まった安藤忠雄さんの『桜の会 平成の通り抜け』プロジェクトのお陰で
桜宮、毛馬から中之島西端までの両岸七キロに渡って一千本の桜が植樹され、
わが大川沿いは世界最長の桜並木となりました。
その大川沿いのソメイヨシノをひとしきり楽しんだあと、
造幣局の山桜たちがほころびはじめ、
大阪天満のこの界隈は長く花を楽しむ贅沢を許してくれています。
ほんまにしあわせなことに。
さて、春のお噺は数あれどひときわシュールで不思議なお噺はこれをおいて
他にみあたりません。本日のお題、『 あたま山』です。
上方では『さくらんぼ』と題されて、主人公のキャラ設定が少々違います。
今回はお江戸の方をご紹介致します。
チュンチュン
さてさて
ケチのケチ兵衛さん、花見客でにぎわう桜の木の下にさくらんぼをみつけ、
ひとつ残らず食べてしまった。もったいないからと種も捨てずに飲み込みました。
すると翌朝、頭のてっぺんから桜が芽吹き、日に日に大きくなりました。
やがて立派な大木に育ち、ある春の日、見事な桜が咲きました。
あたま山の桜は近所で評判となり、花見客が大勢押し寄せ、
連日連夜飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。
たまりかねたケチ兵衛さん、ズボッと根元から桜の木を抜いた。
跡にはぽっかり大きな穴が開き、雨がたまってボウフラが湧き、フナ、どじょう、
なまずに鯉が泳ぎ、周りには草が生え、すっかり池の様相を呈してまいりました。
そのうち誰が呼んだかあたまが池としてすっかり評判になり、
船遊びや釣りに興じる人で賑わい、夏は夜店屋台に花火がどかんと打ち上がり、
騒がしい事この上ない。ゆっくり眠る事も出来ないありさまで。
なんで自分ばっかりこんな目に遭うのか・・・
ケチ兵衛さんつくづくいやになり、とうとう自分のあたまの池にドボーンと
身を投げて死んでしまいましたとさ。
チュンチュン
【本日のよもやま】
んんん・・・どういうこと?ってなるお噺で、比較的近年の創作なのかなと思いきや
れっきとした古典で、原話は江戸時代に作られたお話らしい。
他にも類似した民話など多数存在。日本舞踊や狂言でも演じられています。
徒然草の『堀池の僧正』が由来という説もあるとウキペディアにありました。
山村浩二さんによって短編アニメ化され、23の映画祭で受賞、入賞されました。
もともとはケチ噺の枕として語られていた小噺だったそうですが、八代目林家正蔵が
話を膨らませ一席噺として独立させたそうです。
解釈は様々で難しいところですが、この困難なお噺を画期的な手法で
見事に表現した噺家さんがいます。
笑福亭鶴笑さんです。鶴笑さんが編み出されたパペット落語なら
外国の方でも子供でも一目瞭然。
『あたま山』にはぴったりの手法ではないかと思います。
その手があったかとひざをうつ思い。
はじめて鶴笑さんのパペット落語というものを知ったのがまさにこの『あたま山』で、
あまりの衝撃と内容のすばらしさにいたく感動したのでした。
最初に普通に落語であらすじを追っかけます。そのあと、パペットで表現。
しかもそれがサイレントなのです。落語なのにサイレント!
オチまですっかり聞いた後だというのに、おかしさが倍増しています。
いえ、聞いた後だからサイレントがとてつもなく活きているのです!
まさに2度おいしい、鶴笑さんならではの離れ業なのです。
BGMに森山直太朗さんの『桜』が流れ、なんともせつない、
このシュールなだけではないお噺の奥深さに心うたれてしまいました。
一体どうやって自分のあたまの池に飛び込むのか。
細長い紐を作るとき、まず縫い目を表にして縫って、縫い上がったら中面を表面に
出すようくるっとひっくり返しますね。理屈はコレと同じで、人間がめくれめくれて
あたまの池に身体がすっかり飲み込まれてしまう。
パペットのケチ兵衛さん以外にこれをうまく表現できるものはないでしょう。お見事!
人間をくるっとひっくり返すと、中面が表面に表面が中面に。
内面と外面が入れ替わる。
内面は見えていない部分で、外面は見えている部分とすれば・・・
なんだか心理学や哲学的なお話なんだなあと思ったりして。
そんなふうに解釈はひとそれぞれ、あたま山は無限に楽しめるお噺なのです。
チュンチュン