2017年05月11日

中年クライシス 割り木屋の親っさん、喧嘩仲裁に日々奔走する 胴乱の幸助

ご訪問ありがとうございます。
落語の旅人、庭乃雀でございます。

中年クライシスとは、心理学用語です。
人生も中盤を迎えた頃、多小の差はあれ誰でもが陥る精神状態のことです。

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家族のため、生活のためがむしゃらに働いてきて、気がつけば子供は独立して手を離れ、
自分の時間を持つ余裕ができてくると、はて、自分はいったい何をして来たんだろう?
自分の人生はこのままでいいんだろうか? などなど、
今まで忙しくて気にも留めなかった事がどっと押し寄せて来て、急に不安になる。
残された時間を思って焦ったり、深く落ち込んでうつになってしまったり・・・
と中年期を襲う精神的危機のことで、思春期に対して思秋期なんて言われたりしています。
だいたい45歳ぐらいから始まって、アイデンティティの再構築にもがき苦しむのです。

本日のお噺の主人公、割り木屋の親っさんは60近いとあるので、
中年ではなくもう老年なのですが、思秋期の時期はひとそれぞれ。
親っさんの場合クライシスがちょっとずれてやってきたのです。

そのクライシス、上手に乗り越える事ができれば、残りの人生は楽しく充実したものに
なるでしょう。趣味や自分の好きな事に没頭するのがいいかもしれません。
人の役に立つ事をするというのも一手です。これが手っ取り早いかもしれませんね。

で、親っさん、いいものみつけました。『喧嘩の仲裁』です。
これなら人にも喜ばれ、自分の正義感を満たす事ができて、
社会の役に立っているという充実感もあります。

人はなんだかんだ言ってやっぱり人の役に立ちたいのです。
人に喜ばれると幸せなのです。

でもこの親っさん、クライシスとか関係なく
ただ暇つぶしを探していただけかもしれないですけどね。

チュンチュン

さてさて

割り木屋の親っさんは、名を小林幸助と申します。人呼んで胴乱の幸助。
いつも腰に胴乱を下げて歩いていたからこの名がつきました。
胴乱とは革製の方形の財布で、いわゆるポシェットみたいなもんです。

十二、三で丹波(阿波という説もあります)から大阪に出て来て以来、
朝も夜もせっせと働いて、一代で身代を築きました。
今では息子に割り木屋(薪屋)をまかせて隠居の身。
考えてみれば、仕事三昧の日々で、面白い遊びの一つも知らない、趣味も娯楽もない。
そんな中、喧嘩の仲裁に生き甲斐を見いだし、町のあらゆる喧嘩を仲裁して回る日々。
子供であろうが犬であろうが喧嘩と見れば、中に割って入ってもめ事を片付ける。

決まってなじみの料理屋に連れて行って、説教したあとご馳走するので、
それを目当てに偽の喧嘩を仕掛ける輩も出る始末。
それでも親っさん一仕事の後は上機嫌。もっと大きなもめ事はないかと探します。

とある稽古屋の前を通りかかると、折しも『桂川連理柵 (かつらがわれんりのしがらみ)
帯屋の段』のお稽古中。
♪柳馬場押小路虎石町の西側で、主は帯屋長右衛門♪

「あの憎たらしい婆の嫁いびり」なんて声が耳に入ります。親っさん、放っとけません。
見物人に詳しい事を聞くと、どうやら京都の帯屋での嫁姑問題らしい。
浄瑠璃も文楽もお芝居も何一つ知らない親っさん。
最早リアルとフィクションの区別もつきません。
人が止めるのも聞かず、意気揚々と京都へと向かいます。

時は明治の初年、京阪の間には陸蒸気が通っていましたが、
親っさん三十石の夜舟に乗って伏見の浜に到着します。

また間の悪い事に虎石町の西側に、お芝居と同じように帯屋が1軒ありました。
その店に乗り込むと、早速仕事開始です。
相手に出て来た番頭さんには何がなんだかチンプンカンプン。
お半とか長右衛門とか、帯屋とか話の内容から浄瑠璃の『桂川〜』だと気づいた番頭さん。
あまりにばかばかしくて大笑い。尚も長右衛門を出せとか言う親っさんに、

「お半も長右衛門もとうの昔に桂川に身投げして死んでしまいましたがな」

「死んでしもたか!・・・・あ〜陸蒸気で来たら良かった」

チュンチュン

陸蒸気ができる前のサゲは「三十石で来たら良かった」だったらしいです。

【本日のよもやま】

本日のお題の舞台は京都。 “柳馬場押小路虎石町の西側”に行ってまいりました。

京都市営地下鉄烏丸御池駅から徒歩10分くらいです。
割り木屋の親っさんは大阪八軒屋浜の船着き場から三十石舟に乗って伏見の浜に着き、
そこからまた歩いて虎石町までやってきたのですね。さすがにその行程は省きましたが、
グーグルマップで調べてみると、ほとんど一直線に北上して約10km、2時間の道のり。
夜通し舟に乗って、歩いて2時間。喧嘩仲裁の旅はさぞかしわくわくしたことでしょう。

胴乱の幸助-04.jpg

でも、この道いつか歩いてみたいなあ。
基本、京都の町歩きはいろんな発見があってとても楽しいです。

さて、新しい建物の合間に畳商や道具商などの古い屋号が残る町。
虎石町は今も虎石町でした。西側に帯屋さんは当然ありません。

主の名が長右衛門という帯屋さんは昔ここに実在で、この家でおきた悲しい心中事件が
浄瑠璃となり、歌舞伎や文楽で上演されるようになりました。
これが有名な『桂川連理の柵(かつらがわれんりのしがらみ)』。 
主人公の名前を取って『お半長』とよばれ、当時は誰もが知ってる人気のお芝居でした。
このお噺を割り木屋の親っさんが知らないということが『胴乱の幸助』という
お噺のベースになっております。

その後、帯屋さんは老舗の蒲鉾店茨木屋さんとなって永く営業されておりましたが、
2012年に寺町商店街に移転されました。
跡地がファミリーマート押小路店となったのはつい最近のようです。
帯屋さん→蒲鉾屋さん→コンビニという変遷です。

胴乱の幸助-01.jpg

お土産に買って帰った蒲鉾はふわふわで絶品でありました!

胴乱の幸助-02.jpg

お半、長右衛門のお墓があると聞いて新京極の誓願寺というお寺に行ってみたらば、
落語と深い縁のあるお寺でした。

誓願寺第五十五世の安楽庵策伝上人という人は、
戦国時代、僧侶として布教に励むかたわら、文人、茶人としての才能も発揮。
教訓的でオチのある笑い話を集めた『醒睡笑』八巻は後に落語のネタ本となり、
策伝上人は落語の祖と称されているのでした。
誓願寺では毎年10月に奉納落語会、月に1度入場無料のピーチク寄席が開催されてます。

胴乱の幸助-03.jpg

ファミリーマートの前から押小路通を東へ進んで車屋町通りを少し上がったところに
本家尾張屋本店さんがあります。創業550年の超老舗蕎麦店です。
室町時代、応仁の乱の2年前開業ですって!

お昼を過ぎると行列必至と聞いていたので、開店の11時前に店頭で待ちました。
首尾よく一番乗り!名物の宝来そばと利休そば、そばがきをいただきました。
胴乱の幸助ツアーをされる際にはぜひ寄られてみてはいかがでしょう。
創業550年という圧巻の時を感じるだけでも価値があると思います。
もちろんお蕎麦も美味でした♫

チュンチュン

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posted by 庭乃雀 at 22:51| Comment(0) | 京都編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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