落語の旅人、庭乃雀でございます。
本日のお噺の舞台は大阪市天王寺区下寺町。
大きな銀杏の木が目印の下寺町のずくねん寺さん。
どんな字を書くのでしょう。いかにもありそうな、でも実際にはない
絶妙なネーミングです。
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下寺町は名前の通り、お寺が数多く建ち並ぶ町です。
信じられないかも知れませんが、実は大阪は京都や奈良より寺院の数が
勝っているという驚きの事実があります。でもベスト1はなんと愛知県!
下寺町の交差点から四天王寺まで、谷町筋と松屋町筋に挟まれたこの一角に
寺院が密集。その数およそ八十あまり。
府内随一を誇り、下寺町は全国的にも珍しい寺町なのです。
なんでこういうことになったかというと、時代は秀吉が大阪城を築いた頃に遡ります。
今城のある場所には当時石山本願寺があり、信長と激しく対立、争っていました。
戦いは10年以上も続き、難攻不落の砦として良く耐えましたが、
地形上南の守りが弱いということが問題でした。
そこで、大阪城を築く際に、大阪中の寺院をここに移転させて防御壁の代わりとした
という説があるそうです。北と東は川、西は海に守られ、これで城の守りは完璧に!
もともとこの地は古来より大阪屈指の聖地。周辺には四天王寺や一心寺という
要地があり、寺院を説得するには好都合だったようです。
そんなわけで大阪は以外にも一大宗教都市でもあったのです。
京都や奈良みたいに観光バスでわんさか観光客がやってくるような
有名どころの大きなお寺が多くあるわけではないですが、
中小企業の町大阪は、寺院も中小寺院でまとまっていたというわけですね。
上町大地の緑の丘を背に、古くからの姿をとどめた古刹から、コンクリートづくりになった
近代的な建物の寺院まで多様なお寺が並ぶ下寺町。
歌人や画家、芸人さんのお墓を有していたり、幕末、新撰組の駐屯所になっていたり、
歴史の要所となったお寺も多く、はしごするのもいと楽し。
第三十三所観音巡り 第二十九番札所 大蓮寺には吉本芸人塚があります。
下寺町 1-1-30
鯛屋貞柳(江戸時代の狂歌師)、初代渋谷天外の墓所 光伝寺 下寺町1-3-64
植村文楽軒(人形寺浄瑠璃 文楽座の源流)の墓所
大阪最大の芭蕉塚もあります。 円成院 下寺町2-2-30
新撰組大阪屯所 萬福寺 下寺町 1-3-82
遊女夕霧大夫の墓所 法然上人の御廟 浄国寺 下寺町1-2-36
また、天王寺七坂と言って、生玉さんから南下して一心寺までの間に台地に続く坂が七つ。
真言坂(しんごんざか)、源聖寺坂(げんしょうじざか)、口縄坂(くちなわざか)、
愛染坂(あいぜんざか)、清水坂(きよみずざか)、天神坂(てんじんざか)、
逢坂(おうさか)の順に並んでおり、それぞれに風情があって、その坂を巡るスタンプラリー
なんかもあります。
風情ある坂の町
さらに、松屋町筋は人形と駄菓子の問屋さんの町でもあり、
お雛さんと五月人形の季節が終わった今は花火や夏のおもちゃであふれています。
昔懐かしい駄菓子に狂喜乱舞しながら、坂を巡り、歴史散策、お寺のはしご。
なんて盛りだくさんな町歩き。
食い倒れだけではない大阪の魅力を堪能できること請け合いです。
お寺で落語会が開かれる事も多いですね。
やっぱり落語のルーツはお寺にあるんだなあ
チュンチュン
さてさて
何をやっても失敗ばかり、がらっぱちの八五郎。
「つまらん奴は坊主になれ」という言葉通り、坊主になろうと思い立ち
甚兵衛さんに紹介してもらった下寺町のずく念寺で出家します。
法衣に着替え、晴れて坊主になった八五郎。
和尚さんに『法春』という名前をもらいますが、これがちっとも覚えられません。
「ハシカ軽けりゃホウシュン(疱瘡)も軽い」と洒落てふざけるばかり。
覚えられるようにと和尚さん、扇に名前を書いてもたせてくれました。
八五郎、これをもって甚兵衛さんのところに出家の挨拶へと出かけます。
大きな声で歌を歌いながら歩いていると、友達に出くわしました。
出家したというと法名を聞かれ、案の定もらった名前忘れてます。
扇を見せて読んでくれというと、友達もこれまたまともに読めません。
「ホオバル」だの「ホカス」だの。挙げ句のはてに「ノリカス」なんて言う始末。
こんな風に読む方が難しいと思うけど。
そのうち、中のひとりが「ホウシュン」ちゃうか?
それで八五郎「ハシカ軽けりゃ・・・」の洒落を思い出し、
「そうや思い出した! わいの名前はハシカいうねん」
チュンチュン
【本日のよもやま】
これは枝雀さんのサゲです。
『はしかも軽けりゃ疱瘡も軽い』・・・はしかの発疹が軽ければ、
後に残る発疹の後(疱瘡)も軽くすむということわざをもじったもの。
法をノリと読み、春を春日のカスと読み、『ノリカス』
「そうか! ノリカス。するなりつけるなりじゃ。」
もともとはこういうサゲだったらしい。
ノリカスとは糊の滓(かす)のことで、昔はおひつに残った米粒をすって糊にしていた。
すっては水に付けたりまたすったり・・・で、するなりつけるなり
頭を剃るなり名前をつけたということと、“糊カスはするなりつけるなり”をかけたもの。
けれども今はこれではさっぱり意味がわからないので、いろんなサゲに変えて
演じられているのだそうです。
法春にちなみ、季節を春に設定している橘圓都流と、秋に設定している枝雀さん流の
2つがあり、枝雀さんはこれを桂文蝶師匠にお稽古付けてもらったそうです。
『左右には鶏頭の花が真っ赤に咲いております。お寺の表にはあまり人のおりませんもんで』
という美しい一説に 「これや!」 と思われたそうです。
枝雀さんはさらに、八五郎に頭を丸めて外に出るとき、「空が青いなあ」と
独り言をいわせることで秋のイメージを強調することに成功しています。
チュンチュン
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