2018年02月18日

恋煩いの若旦那、宇治で養生する  宇治の柴舟

ご訪問ありがとうございます。
落語の旅人、庭乃雀でございます。

時々無性に行きたくなるところ、それが雀にとっては宇治なのです。
なぜかは知らねど、ふとあの宇治川の流れが浮かび、
気がつけば行きたいなあなんて思ってる。
そういえば宇治はちょっと疲れた人が行きたくなる所だと
どこかの誰かが言ってましたっけ。
いやいや雀ちゃん、疲れてなんていませんよ〜

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宇治と言えば、宇治川の流れと平等院、宇治茶と源氏物語の町。

京阪宇治駅に降り立ち、宇治橋を渡ると大きな鳥居がある道は、
平等院を守護する県神社参道。その左隣に添う道が平等院表参道。
老舗のお茶屋さんが軒を連ね、お茶の香りがたちこめます。

宇治は風光明媚な土地で、平安時代初期から貴族の別荘地として開けていました。
都でのあれやこれや厄介な事に疲れた貴族達が避難して、
ほっこり落ち着く場所だったのですね。都からそう離れていない場所に
隠れ家的居場所を持つ事は理想的なことだったんでしょうね。

平等院も元は光源氏のモデルとの噂も高い左大臣、嵯峨源氏の源融の別荘でした。
源融から宇多天皇、源重信を経て藤原道長へと持ち主がかわり、
その子頼通によって寺院に改められたのが平等院の始まりです。

時代は末法思想の真只中、恐怖に駆られた頼通は、絢爛豪華な極楽浄土の世界を
表現し、この不安から逃れようとしたものと思われます。
それゆえ平等院鳳凰堂は夢のように美しいのです。

本日のお噺の舞台の宇治川は、
琵琶湖を水源として流れ出した瀬田川が宇治市で宇治川と名前を変えたもの。
八幡市あたりで桂川、木津川と合流して淀川となり、大阪湾へと注ぎ込みます。
道は続き水は流れいつかどこかにたどりつく・・・なんて。

周辺は春は桜、夏は鵜飼、秋は紅葉と四季を通して風流にこと欠きません。
月夜に舟を浮かべて月を愛でたり。
平安の貴族達もこの流れにさぞや心癒されたことでしょう。

宇治の柴舟S_1.jpg

紫式部は源氏物語『宇治十帖』を書き、歌人達もたくさん歌を読んでます。

『朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木』

この歌にある網代は川風、川霧、筒車(水車)、柴舟とともに宇治の冬の風物で、
名所の歌枕でもあります。
秋から冬にかけて琵琶湖で生まれた鮎の稚魚『氷魚(ヒオ)』を獲る漁法のことを
網代といい、網代木はその杭のこと。その様子は鳳凰堂の扉絵にも描かれています。

また、宇治橋は山崎橋、瀬田の唐橋とともに日本三古橋のひとつとされています。
上流側にある『三の間』と呼ばれる張り出しは守護神橋姫を祀った名残だとか。
秀吉もここから茶の湯に使う水を汲ませたのだそうです。

本日のお噺のお題でもある『柴舟』とは、焚き木にする柴薪を積んで行き来する
小さな貨物舟のことで、田原郷(綴喜郡宇治田原町)でまとめた柴薪を竹の輪で
まとめて宇治川支流の田原川に流し、甘樫浜(今の天ケ瀬ダムあたり)で小舟に
乗った人が拾い上げ、竹の輪を抜いて縄でしばり直してまた舟に積み、
下流へ運搬していました。

柴薪のような嵩高で安価な品物を大量に運ぶにはこの水路を利用するのが最適な
方法だったようで、両岸の道が整備されたあとも変わらず舟は活躍していました。
これを宇治の柴舟と申しまして、『薄暮柴舟』は山城の国名所旧跡において
宇治十二景に選ばれていました。

『暮れてゆく 春の湊は知らねども 霞みに落つる 宇治の柴舟』

そんなこんなで宇治の魅力はつきませぬ。
さしずめ雀の前世は平安貴族の姫君で、その記憶が宇治をなつかしく恋しく
思わせるのかも知れませぬなあ。

チュンチュン 

さてさて

大阪堀江は材木問屋の若旦那、重い病で寝込んでしまいます。
例によってなんとかしてやってくれと、呼び出されるのは手ったいの熊はん。
ようよう聞きだすと、なんと掛け軸に描かれた女に惚れてしまったのだという。
ちょっとやっかいな恋煩いです。その掛け軸は非売品。
作者の絵師はすでにこの世にはなく、そのモデルの消息を掴む術もない。
とはいえ、このまま薄暗い部屋に日がな籠っていても仕方がないので、
涼しく過ごしやすい宇治への出養生をすすめます。

宇治は風光明媚な観光地。、京都、伏見あたりからもたくさん人が訪れる。
ひょっとして、件の思い人に似た人に出会えるかもしれん。

ということで、宇治の一流料理旅館、菊屋に逗留することになりました。
ずいぶん具合も良くなったある日の事、若旦那が二階の手すりにもたれて
表を眺めておりますと一点にわかにかき曇り、雨がざ〜っとふってまいりました。
夏の夕立、小半時も続きまして、からっと晴れたそのあとに、旅館の前の川岸で
あの絵にそっくりな女が、伏見まで帰る舟のことを訪ねているではありませんか。

宇治橋の下まで行けば、舟が残っているかもしれないと聞いて女は歩き出します。

若旦那、階下に降りると近くにつないであった小舟に飛び乗り、宇治橋の下まで先回り。
やって来た女に伏見まで送りますと声をかけました。
若旦那の事を船頭と思って疑わない女は助かったとばかり舟に乗り込みます。

ところが若旦那、五、六町も進めたところで舟を止め、女に事情を告白し、
自分の思いを遂げさせてくれと迫ります。びっくりした女ともみ合ううちに竿は流され、
先ほどの雨で水かさが増した宇治の急流に舟は大きくゆれてひっくりかえり、
ふたりとも川に放り出されてしまいました。

「もし、若旦那、若旦那」

「あー熊はんか。ほな今のは夢か」

自分の愚かさを思い知り、すっかり回復した若旦那、大阪に戻り家業に精だす日々。

見事うちの大黒柱ができたと大喜びの大旦那。

すると熊はん「さすがに宇治は茶どころですなあ。柱がたちました。」

チュンチュン

【本日のよもやま】
これは桂梅団治さんのサゲです。ほんまのサゲはエロチックで高座ではできず、
しまいにわからへんようになったと、米朝ばなしにありました。
笑福亭一門の桂文屋という方の作と言われていますが、どんなサゲやったんでしょうね。

若旦那が宇治で逗留する菊屋旅館は、
1818年、頼山陽の命名により創業、多くの文人、政財界の方たちに愛された
『菊屋萬碧楼』のことで、現在お茶の老舗、中村藤吉さんの甘味処となっております。

伊藤博文命名の迎鶴楼、月見台は当時のまま保存され、
宇治川のほとり老舗の佇まいは『重要文化的景観』に指定されていて、なるほど素敵。
桜の季節、紅葉の季節の絶景は今も昔も人々の眼を楽しませてくれます。

だいたい土日は行列必至で1時間以上は並ぶそうですが、訪れた日は日曜日だったけど
開店直後だったせいかあまり待たずに入店できました。

おすすめは生茶ゼリーと抹茶わらびもち。夏はかき氷もおいしそうですねえ。
テイクアウトのソフトクリームも大盛況でした。
カフェに併設されたショップにはあれもこれもと欲しくなるお土産物がそろっています。
カフェで出された茎ほうじ茶が美味しくて、思わずお土産に購入しました。

宇治の柴舟S_2.jpg

さて、ちょっと日常に疲れたそこのあなた!
思い切って若旦那のように宇治に出養生と決め込んでみてはいかがでしょう?
歴史的史跡に自然にスイーツに。
宇治にまったり浸れば疲れた心も癒えるかもしれません。

チュンチュン

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posted by 庭乃雀 at 17:30| Comment(0) | 京都編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする