2017年08月31日

幽霊、片袖を託して極楽往生を願う  片袖

ご訪問ありがとうございます。
落語の旅人、庭乃雀でございます。

毎年8月の第4日曜日、年に1回だけ公開される幽霊の絵がある。
それとともに幽霊が残したものと伝説の残る着物の片袖と、香合も展示される。
それは講談の題材になり、落語にもなったとあれば、是非観に行かなくては!
という訳で見学して参りました。

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大阪市平野区にある大念仏寺というお寺のそれらは寺宝となっております。

大念仏寺は融通念仏宗の総本山で、日本最初の念仏道場。
山号を諸仏護念院大源山と申します。
ご本尊は十一尊天得如来。初めて聞くお名前です。
融通念仏宗独特の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像となっております。

本堂は大きくて立派。
府下最大の木造建築だそうで、境内も広く30余の堂宇がありますが、
その中の瑞祥閣という100畳敷きの大書院が、年に1回『幽霊博物館』となります。
前庭にはベンチが並べられ、前から二列ずつの入場となります。
それほど待たずに順番が巡ってきました。
いよいよ幽霊たちとの対面です。怖いけど、興味津々の方が勝ちました。

まず通された部屋には幽霊の残した片袖と香合、その由緒を描いた絵巻物が
展示してありました。伝説はこうです。

元和3年6月3日といいますから、大坂夏の陣で大阪城が陥落して間もない頃、
巡礼の旅をしていたある男が箱根権現参拝を終えて休息していると、
ひとりの女の幽霊が現れて言うことには、

「自分は摂津の国住吉宮の神職、山之上松太夫の妻である。旅の途中、この谷で命を
落としたが、地獄に堕ちて苦しんでいる。どうか摂津の国、平野にある大念仏寺で
極楽往生の供養をしてくれるよう夫に伝えてほしい。」

証拠として着ていた着物の片袖と香合を残し幽霊は消えていきました。

男は幽霊の言う通り、摂津の国へと赴き、山之上松太夫に女の言葉を伝えて
証拠の片袖を手渡しました。

その後、松太夫により追善供養された女の幽霊は、無事成仏してめでたしめでたし。
この片袖と香合は大念仏寺に奉納され、寺宝として大切に保管されてきました。

で、今私の目の前にあるというわけです。
片袖は、たぶん当時の裕福な女性が着ていた小袖だろうなあと思います。
絹の生地に胡蝶や藤、鶴亀等、おめでたい文様を刺繍された美しい物です。
香合はふたの上にかにの細工を施しており、どちらも保存状態が良くきれいです。
本当に幽霊が残したのかどうかは別として。

さて、次の間へとまいりましょう。
なんだか2〜3度部屋の温度が下がったような感じがします。
部屋の三面にずらりと掛けられた十二幅の幽霊の掛け軸。
さすがにこんなに幽霊に囲まれるとぞぞっとしますね。
みんな無実であったり、裏切られたり、理不尽のうちに殺された方達ばかり。
そりゃ恨むでしょ。怖いというより悲しい顔にみえます。
一人の作家さんの手によるものですが、作者は不明。
江戸時代の物でこちらに奉納された経緯も不明だそうです。

展示品は当然撮影禁止でした。
片袖と香合、絵巻は大念仏寺さんのホームページで観る事が出来ます。
幽霊画は1997年発行の別冊太陽に掲載されているようです。手に入るかな?

それにしても残念だったのは、幽霊画の間に流されていたおどろおどろしいBGMです。
ひゅ〜どろどろ的な演出なんているかしら。雀はちょっと興ざめでした。
例えば、これが美術館に展示されているとしたら、静かに鑑賞できる展示にするはず。
アートとして扱ってもらってない、名もなき作家さんと掛け軸の幽霊さん達が
なんだか気の毒に思えた雀でした。

チュンチュン

片袖_大念仏寺ai-01.jpg

さてさて、
長屋でも得体の知れない怪しい奴と評判の三隅亘(みすみわたる)という男。
実は強盗。毎度おなじみ、喜ィ公を手下にしてとんでもない事を考えています。

裕福な造り酒屋、山之上松兵衛の十八になる一人娘が急死して葬儀が行われました。
娘は結婚間近で、用意した着物は別染めで高価な物。
悲しみに暮れる両親は死に装束にその着物を着せて、帯締めて、純金の入った櫛、
こうがいで飾ってやり、小判も入れて葬りました。

強盗はこの墓を暴き、金品を奪おうというのです。
夜になって、長町から今宮、飛田へと出て参りまして、やがて阿倍野の新墓へ。
墓を掘り返し、身ぐるみ剥ぐとまた元通り埋め直して家に戻ります。

翌日手に入れたものを売りさばくと150両、半分喜ィ公に渡し、家に帰します。
自分はその後娘が着ていた晴れ着の片袖を丁寧に取り外し、後は粉々に切り刻んで
床下深く埋めてしまいました。家財道具一切売り払ってそのまま行方をくらませます。

ふたたび大阪に戻って来たのは、娘の百か日目のこと。
六部と呼ばれる修行僧の姿で、山之上松兵衛の戸口前に立ちます。
仏間に通されて強盗が言う事には、越中富山にあるという地獄を回向する為に、
その幽霊谷に足を踏み入れると、亡者の群れの中にひとりの美女が現れて、

『自分は大阪は住吉、山之上松兵衛の娘、親の流す涙が火の雨となって成仏できません。
高野山に永代経と祠堂金を納めてほしい』と言う。

証拠の品として片袖を預かり、こうしてやって来たのだと松兵衛に伝えると、
両親は泣き崩れ、高野山に行くという強盗に祠堂金として父親から50両、母親から50両、
合わせて100両のお金を託します。

強盗してやったり。

「50両と50両、合わせて100両の追善供養ぉ〜」

裏では浄瑠璃のお師匠さんがお稽古の真っ最中。間良く三味線がチンチンと。

「後、懇ろに弔はれよ。さらば、さらば」 と語りながら店の庭まで出てくると、
結界の内から番頭が

「六部さん、うまいこと語った(騙った)なあ」

チュンチュン

【本日のよもやま】
悪党が考える事は抜け目がありませんね。
墓を暴いた時、着ていた着物の片袖を取っておくのがミソでございます。
二回にわたって死者と遺族を冒涜するのですから、ひどい話です。
落語ではここでサゲとなりますが、講談ではちゃ〜んとバチがあたります。
ぞぞぞ〜っと夏にぴったりのお話しになっておりますよ。

『片袖』は天保の初め頃、大阪での話ですが、当時おきた事件やうわさ話をもとに作られた
お噺だそうです。

大念仏寺の墓が暴かれた事件、上本町の酒問屋の娘、お糸が恋人の片袖を抱きしめて
死んだという噂、道頓堀で忠臣蔵の六段目が大ヒット、ロングランとなったことなどなど。

忠臣蔵の六段目とは早野勘平腹切りの段で、
「あわせて100両、百か日の追善供養、老母の役目、後懇ろに弔はれよ。さらばさらば」
という語りの部分がサゲに使われています。

他にも各地で『幽霊の片袖伝説』というのはあるそうで、例えば・・・

とあるお寺の住職が就寝中、何やら人が歩く気配を感じ、「泥棒!」
咄嗟にその袖を掴みましたが、袖はとれてくせ者には逃げられてしまいました。
住職の寝室の床の間には幽霊の絵の掛け軸が掛けられていましたが、
翌日見てみると幽霊の片袖が無くなっていました。きゃあ〜〜

この話をうけて、着物を縫う時、片袖だけ身頃に付けずにそのままにしておくと
幽霊が私の片袖かもしれないと言って現れるとされていたそうです。
和裁師さんの間では、もう少しで完成するなら、両方の袖をつけて1日の仕事を
きちんと終えなさいという戒めのお話しになっていたようです。

チュンチュン

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posted by 庭乃雀 at 16:19| Comment(0) | 大阪編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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