2017年07月11日

見えない方がしあわせなこともあるってはなし こっけい清水(新壺坂)

ご訪問ありがとうございます。
落語の旅人、庭乃雀でございます。

もうしばらく清水さんのお噂でおつきあい頂きます。

清水寺の舞台からの眺めは素晴らしく、何度見ても飽きる事がありません。
奥の院舞台や子安の塔からの眺めも素晴らしいですが、
あまり知られていないであろう絶景ポイントが実は他にもあるのです。
雀が個人的にお気に入りの場所を今日はお知らせ致しましょう。

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境内を堪能するとほとんどの人は、茶わん坂や清水坂を下って帰ってしまいますね。
もったいない! もう少し長居して足を伸ばしてみましょう。

音羽の滝の前の道をまっすぐ南下すると『歌の中山 清閑寺』という案内板が見えます。
柵の門をくぐって歩く事5分ほど。短時間ではありますが東山の自然を満喫できます。
六条天皇御陵、高倉天皇御陵という石碑のある小高い小道を上って行きますと、
清閑寺の山門です。

清閑寺_1.jpg

清閑寺は山号を歌中山と申しまして、真言宗智山派のお寺です。
ご本尊は十一面千手観音さま。
歌中山とは地名で、今では清水寺子安の塔から清閑寺に至る山路をさすそうです。

平家物語にある高倉天皇と小督(こごう)の局の悲恋物語ゆかりの寺院で、
境内の至る所に歌碑が置かれています。

小督の局は藤原成範の娘で高倉天皇に仕え、範子内親王を生みますが、
平清盛の怒りをかって、清閑寺で出家させられこの地で生涯を終えます。
小督の局は高倉天皇の後宮。高倉天皇の中宮(皇后)は平清盛の娘、
建礼門院徳子だったので当然の成り行きと申しましょうか。
でも、もともとは美貌と琴の名手として有名だった小督の局を天皇に紹介したのは
徳子なんですけどね。

高倉天皇は安徳天皇に譲位した後、病に倒れ二十歳の若さで崩御されますが、
その遺言どおり小督の局がいる清閑寺に葬られました。
そんなわけで高倉天皇陵は清閑寺参道途中にあり、
また小督の局のお墓と伝えられる供養塔も天皇陵内にあるそうです。
この世を去ってようやく添い遂げられたのですね。
でも小督の局はいくつで亡くなられたのかなあ。

で、絶景はどこかと申しますと、境内前庭に結界に囲まれた大きな石があります。
この石の前に立つと京都市街が一望です。V字の谷のむこうに広がる京都の町。
その姿を広げた扇にみたて、ちょうど扇の要の位置に石を置いたので、
これを要石と呼んでいます。誓いをたてると願いが叶うそうですよ。

清閑寺_2.jpg

小督の局が見た扇の柄は懐かしい都の風景。
今はビル群と京都タワー、柄はずいぶんと様変わりしましたね。
今も変わらないのは遠くけぶる山並みのみ。

さて、もう一カ所ご紹介したいところがあります。
いったん清水寺に戻りましょう。舞台を下から眺めながら仁王門方面へ。
お休みどころ六花亭の前の細い坂を下って行きます。
すると眼前に広がるのは見渡す限りの墓地!墓地!墓地! ある意味絶景かなです。

鳥辺山_1.jpg

ここは大谷本廟、西本願寺の墓所。この地は平安時代には鳥辺野と呼ばれ、
化野、蓮台野と並ぶ京都三大風葬地のひとつでした。
『京都三大無常』とも呼ぶのだそうです。今も昔もかわらず墓所というわけです。
京都の町は、清水の観音様の大きな慈悲とたくさんのご先祖様の魂に
見守られているようです。

遠くに京都タワーと市街地の風景を見ながら、膨大なお墓の群れの中を歩きます。
鳥辺山帝釈天王通妙寺、本寿寺を通過してすぐ智積院というお寺があります。

鳥居には妙見宮の文字。別名鳥辺山妙見堂。ご本尊は妙見大菩薩さま。
本堂横にある絵馬堂、ココが目的の絶景ポイントでございます。
西側斜面に張り出していて、清水寺と同じ舞台づくりになっています。
気持ちよい風が吹き抜け、ここからも京都市街が一望。遠くに左大文字が臨めます。
こんなに素敵な場所なのにほとんど人が来ません。
もったいないようなありがたいような。

鳥辺山_2.jpg

妙見堂を後にしてこのまま進むと大谷本廟、五条坂の交差点に出ます。
このルートご存じなかった方、ぜひ一度訪れてみてください。
観光客で混雑する事はまずありません。広大な延々続く墓地をゆく、
果たして夢なのか現実なのか今なのか過去なのか、不思議な感覚に浸れます。

チュンチュン

さてさて
座頭の杢の市、女房のおとわがあろう事か親友の馬之助と浮気していると、
友人の徳さんから聞かされます。
杢の市にすれば青天の霹靂、なかなか受け入れられません。
女房と親友のことを信じたい気持ちと、仏の徳兵衛と呼ばれているほどの
人物からの忠告との間で杢の市の心は揺れ動きます。

葛藤の末、徳さんの言う事が正しいように思えてきて、
自分の事をだましていた二人にめらめらと復讐心が燃え上がります。

目が開いてほしい! 目が開いて二人に仕返しがしたい!

そこで、思いついたのが清水の観音さんへの願掛け。
確か昔悪七兵衛景清という人が自分の目を生きたまま奉納したと聞く。
その目を片方でも貸してもらおう。

というわけで、一生懸命願を掛け目が見えるようにと祈ります。

一方女房と馬之助、浮気は事実なもんで、杢の市の目が見えるようになっては一大事。
こちらはこちらで願掛けを始めます。杢の市の目が開きませんようにと。

さて満願の日、偉いもんで杢の市の目が開きました。
観音さまは杢の市に味方したのかな。
観音さま、ありがとうございます! うれしさにむせびながらふと振り返ると
後ろでは一心に祈るおとわと馬之助の姿が目に入ります。

「ああ、よその夫婦は仲がええなあ」

チュンチュン

【本日のよもやま】
初代桂文治さんの作と言われています。
『こっけい清水』の名付け親は文の助茶屋の桂文の助さん。
米朝さんは浄瑠璃の『壺坂霊験記』のパロディみたいなところがあるので
『新壺阪』というのが面白いんじゃないかとおっしゃってます。

杢の市がいろいろと葛藤して思いを巡らすところ、心の様がかわってゆく描写が
聞き所ですね。さげはブラックユーモアで秀逸。ま、見えない方が幸せという事も
多々あるのではないでしょうか。
残念なことにあまり演じられる事はなく、上方では森乃福郎さんだけのようです。

壺坂霊験記は座頭の三味線弾きの沢市とその妻お里の夫婦愛の物語。
互いを思いやるが故に生じた悲劇だけれども、壺阪寺のご本尊十一面観音様に救済され、
二人の命も助かり目も見えるようになりと、万事めでたしめでたしのお話しです。
このお話しの全容は知らなくても「三つ違いの兄さんと〜」というくだりはどこかで
聞いた事があるかもしれませんね。雀は枝雀さんの語りで知りました(*´∀`*)

チュンチュン

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posted by 庭乃雀 at 22:43| Comment(0) | 京都編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする