落語の旅人、庭乃雀でございます。
ようやく暖かくなってきて、そろそろ桜のうわさも聞こえてくるころとなりました。
お花見をネタにしたお噺と言って、真っ先に浮かぶのはやはり貧乏花見でしょう。
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舞台となるのは悪名高き長町裏。
長町は今の日本橋でんでんタウンあたり。
日本橋1丁目の交差点から恵比須町交差点までを
1丁目から9丁目までに区切った細長い町。それが名前の由来とも。
また、今では想像もつきませんが昔々このあたりは海で、
白砂青松が美しい景勝地でした。
呉の国からやってきた織女たちが着岸したので、名呉の浜とか名呉の海とか呼ばれ、
それゆえ町名も名呉町と称し、転じて長町となったという説もあります。
江戸時代、大阪の南の玄関口だった長町の表通りには旅籠が軒を並べ、
宿場町として賑わっていました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場します。
大阪編で弥次さん喜多さんが泊まる宿が七丁目(現在の日本橋4〜5丁目)に
あった分銅河内屋。並んでひょうたん河内屋という店もありました。
この二軒は長町にある宿屋の中でもひときわ目立つ大家だったとか。
摂津名所図会にも描かれています。
賑やかな表通りに反して裏通りはというと、諸国から集まって来た肉体労働者や、
低所得者たちがたむろして住み着き、長町は貧しい人の住む町となっていきました。
幕末の頃には生活困窮者や日雇い労働者が流れ込んできてスラム化が進みます。
町奉行は対策として長屋や木賃宿を建設し、周辺貧民もすべて長町に押し込めた
ものだから、いよいよ超のつく貧乏長屋が出来上がったというわけです。
そんな長屋の人たちは生活の糧をどうしていたのでしょう。
当時表通りの2丁目から6丁目には傘屋が多く軒を連ねていて、
その下請けで傘張りなどして暮らしていたようです。
時代劇なんかでよくみるあれですね。傘は長町名物だったらしいです。
落語の世界の住人はたいがい裏長屋という貧乏長屋に住んでいますが、
この長町裏の長屋の貧乏は桁違い。
例えばご飯を炊く釜が40軒に1個しかない釜一つ裏。くじ引きで使う順番を決めるから
『うちの朝ご飯はたぶんあさっての夕方になりそうや』 な〜んて笑かします。
他にも家が菱餅みたいにひし形にひしゃげているから三月裏、
年中夏みたいに裸同然で暮らしているから六月裏、
燃料に使ってしまって、戸がない家が並んでいるから戸なし裏などなど半端ない!
そんな暮らしでもたくましく生きている住人たちに会いたくて、
今日も雀は落語世界を飛び回っているのです。
時は流れて長町は日本橋筋となり、電気とフィギアとメイドカフェ。
長町裏は今やオタロードとなっていました。
スラム街ではなくなったけれど、相変わらずのごった煮状態。
町の性格というものは変わることはないのかもしれません。
なんでもありのたくましさ、ここにいるひとたちの心意気に、
落語世界の住人たちを重ねてみる。
訪れた外国人観光客の人に『ここは日本じゃない』と言わしめているそうで。
でもまぎれもなく日本で、ここもリアルな大阪なんだなあ。
チュンチュン
さてさて
朝からの雨があがった、ある春の日の長町裏。
花見に向かうであろう華やかな人々をながめながら、
二人の男が外へ出てきてしゃべってます。
貧乏でもなんでも花見に木戸銭がいるわけじゃなし。
仕事にも行きそびれたことやし、わしらも行ったらええがな。
着ていくもんがない、ごちそうがない、酒がないという男に、
『気で気を養うということを知れ。心まで貧乏になるな』と一喝。
みんなで花見に繰り出そうと話がまとまります。
しかしええこと言うなあ。
そうと決まったら花見の段取り。みんなで家にあるもん持ち寄ります。
お酒の代わりにお茶、かまぼこは釜底のおこげ、玉子焼はたくあん、
サワラの子はおから、などなど見立てて宴会をはじめたものの
酒柱の立つ酒にバリボリ音のする玉子焼では気分は盛り上がらず、
ほんまもんを調達しにいくことになります。
男手が少ない女子供の宴席を選んで、ケンカのふりをしてなだれこみます。
びっくりして逃げ出した後に残ったお酒やご馳走をまんまと失敬。
やっと花見らしくなったと酔いもまわって気分よくなったころ、
さっきの宴会を仕切っていた太鼓持ちの男が怒鳴り込んできました。
勢いよく啖呵を切ったものの、長屋の連中には負けてます。
どん底にいるものは強いなあ。
その手に持った一升徳利で殴れるもんならなぐってみい!
逆に凄まれてあたふた、振り上げた一升徳利も宙を舞う。
「そんなつもりで来たんとちゃいますねん」
「ほんならその一升徳利はなんやねん」
「これは、え〜っと お酒のお替り持って来ましてん」
チュンチュン
【本日のよもやま】
長町裏は、『夏祭り浪花鑑』というお芝居の舞台にもなってます。
七段目『長町裏、通称泥場』がそれです。
ざっくりいうと、魚屋の団七九郎兵衛が恩人で舅でもある三河屋義平次を
弾みで殺してしまい、池に投げ捨て、祭りの喧噪にまぎれて逃げて行くという
殺人現場が長町裏。ちょうど日本橋三丁目から南へなんばパークスへむかうあたり。
貧民窟に田んぼにあぜみち。相当に暗くてさびしい所だったようです。
泥にまみれての壮絶な殺人シーン。
バックには祭り囃子と御神輿をかつぐわっしょいの声。明と暗の対比や
ほんまものの泥やら水を使う演出がみどころらしい。
元は人形浄瑠璃の演目で竹本座で初演された後すぐ歌舞伎化されたよし。
で、この泥場をパロディーにした落語が『土橋漫才』
面白いものは姿を変えてくるくると広がって行くもんなんですね。
さて、今年のお花見はどこへ行こうかなあ。
今年も桜たちに会いに行ける幸せに感謝です。
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