落語の旅人、庭の雀でございます。
落語の舞台を体感するのにとっておきの施設があります。
“大阪くらしの今昔館”です。
天神橋筋6丁目駅、3番出口から出てすぐ。
住まい情報センタービルの9階に、なあんと!
江戸時代の大阪の町が復元されてます。まるで映画のセットみたいです。
しかも商店の品物、民家の家財道具、屋根の上の猫、路地の犬など、
細部にまでこだわって作られていて感激。
大阪市の仕事の割にはていねいだなと見直したりして。
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期間によって展示内容が、お祭りバージョンと商家の賑わいバージョンに変化します。
それぞれ朝昼夜と時間経過があり、雷雨になったりして凝っています。
江戸時代の大阪人気分に浸れるお気に入りの施設で、
本日もたくさんのお客さんでにぎわってます。
もっとも日本人の姿はほとんどみられないという状況ではありますが。
さて、そんな江戸時代の町の一角で、定期的に落語が楽しめます。
合薬屋、肥後屋さんの庭先からお邪魔して、
肥後屋さんのお座敷が落語のお席“今昔亭”となります。
店先のウルユスという薬の名前と効能が染め抜かれたのれんが目印です。
さすがにここは日本人ばかりですね。
本日は桂りょうばさんと、桂出丸さんのお二方による町屋寄席。
今昔館の入場料600円のみで高座が楽しめるので超お得です。
今、鶏が鳴いて夜が明けたようです。今昔館の中は夜から朝の演出に変わりました。
そろそろ高座も始まるようです。
りょうばさんのお題は『米揚げいかき』
初代塩鯛さんがつくらはった噺で、塩鯛の名前を継ぐ者に代々譲られる噺だそうです。
枝雀さんのお噺の段取りは他の方とは少し違っていて、
いかきやさんに失敗させないパターンです。枝雀さんの言葉をかりると、
『この噺を機嫌のいいまま終わらせたいから』だそうです。
さて、りょうばさんはどのパターンを使ってくるでしょう。
枝雀さんのラストを踏襲されるのかな〜
チュンチュン
さてさて
例によって仕事もせずブラブラしている男がおりました。
丼池の甚兵衛さんの紹介で、 天満は源蔵町のいかき屋重兵衛という店で
いかき(ざる)の売り子として働くことになります。
基本的な仕事の仕方を教わって、早速やって来たのは堂島。
堂島といえば米相場の立つところ。
強気の相場師は『上がる』『昇る』を喜び、
弱気の相場師は『下がる』『降りる』を喜ぶ・・・というように、
大変験を担ぎます。
強気も強気、カンカンの強気の相場師の店の前に立って、
「大マメ、中マメ、子マメ、米を揚(上)げる米揚(上)げいかき〜〜」と
大声で叫んだもんやから店の主人に気に入られ、
いかきを全部買ってくれた上にあれこれ祝儀をつけてくれる。
調子に乗って「上」づくしを並べ立て、最初は主人を喜ばせていたけれど、
つい下がるとか倒すとか口が滑って主人の機嫌は急降下。
そこへ番頭がとりなして、
「旦さんみたいに上がる上がるばかりではあきまへん。
そう上がるばっかりでは、高つぶれにつぶれてしまいますがな。」
するといかき屋、いかきをポンポンとたたいて
「つぶれるようなものと、ものが違います。」
チュンチュン
枝雀さんのお噺では、いかき屋さんが失敗して旦那さんが機嫌を損ねるのではなく、
いかき屋さんの「上」づくしに上機嫌になった旦那さんの祝儀が米五斗、借家十件、
須磨の別荘、挙句の果てに大阪のお城に梅田のステンショと、どんどんスケールアップ。
思わず番頭さんが「そないにおやりになってはうちの身代ががつぶれてしまいます。」
で、サゲは同じという運びです。
本日のりょうばさん、このパターンでした(*^^*)
そこはかとなく枝雀さんを感じるりょうばさん。
年を重ねてどんなふうになっていかれるのか、これからとても楽しみです。
【本日のよもやま】
本日のお話に出てくる地名は天満源蔵町と、堂島。
“丼池を北につきあたって北浜。右におれて栴檀の木橋を越え、
難波(なにわ)橋を渡ったところ一帯が源蔵町”
名前の由来はわかりませんが、多分この辺に住んではった人の名前なんでしょうね。
源蔵といえば!雀はやっぱりなにわの源蔵親分を思い出しますけどね。
源蔵町は古い名前で、現在は西天満三丁目あたりをさします。
法務局や天満警察があり、弁護士事務所が多く建つちょっとお堅いイメージですが、
古い町家もたくさん残っていて飽きない町です。
少し歩いて老松通りに入ると、骨董、古美術を扱うお店が並び、ギャラリーも多く、
西天満界隈は大阪を代表する美と文化の町となっております。
昔大阪で権威を持っていたのは、天満青物市、ざこば魚市、堂島米市の三大市場。
中でも米の相場が大名家の浮沈に関わるというので、堂島は圧倒的な権威を持っていました。
蔵屋敷、米市場、米切手というシステムを作り、シカゴで先物取引が現れるより
なんと100年も前に世界初の先物取引市場ができたのです!
大阪には世界初というものがたくさんありますね。すごい!
今もそうでしょうが、相場というものは一夜にして億万長者になることもあれば、
大損して一文無しになるリスクもある。
そんなことから潔く豪放磊落な“堂島気質”のようなものが生まれたとか。
堂島は男伊達の名所。かっこいい伊達男たちがたくさんいたんですね。
いつから、“大阪人はネチネチとドケチで業突く張り”
みたいなイメージになってしまったのでしょう(T_T)
その堂島米市場があったのが、堂島浜通り新ダイビルのあたり。
ANAクラウンプラザホテルの前、中之島ガーデンブリッジの北詰に、
その記念碑と像が建っています。あ、もうその先は北新地ですよ。
堂島の伊達男たちも派手に儲けたその足で北の新地に繰り出したのでしょうね。
チュンチュン
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