2016年08月07日

善良な駕籠屋、住吉っさんの前で長距離の客をひろう  住吉駕籠

ご訪問ありがとうございます。
落語の旅人、庭乃雀でございます。

7月31〜8月1日まで住吉祭でした。大阪の夏祭りのトリでございます。
夏越の祓は普通6月30日に行われるところが多いですが、
住吉さんでは7月の末に行われます。
6月にお祓いできなかった方、大丈夫です。まだ住吉さんが控えてくれてます。
しかも住吉大社は強力なお祓いの神さまです。
半年分の穢をきれいさっぱりとりさってくださいます。

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ということで、今年の後半戦を気持ち良くのりきるため、
雀も住吉さんへお詣りしてきました。

境内にある五月殿での夏越祓神事の後、
(この神事は無形文化財に指定されています。)
神官が祝詞を挙げてくださるなか、茅(ちがや)を1本取って、
お塩と榊でお祓いしてもらい、3つの茅の輪をくぐります。
茅の輪をくぐる時一つの和歌を口ずさみます。

『住吉の夏越 (なごし) の祓する人は千年 (ちとせ) のよはひのぶといふなり』

いつもは、廻り方を間違えていたり、和歌を口ずさむの忘れてたり、
何かしら不完全でしたが、今回は完璧にこなしました。

千年も寿命延びなくてもいいですが、
これで今年も年末まで無事乗り切れることでしょう。

チュンチュン

住吉駕籠_1.jpg

本日のお噺は住吉街道を舞台に、変なお客に翻弄される駕籠屋さんのお噺です。

古代、住吉大社の社前まで海だったことから『岸の辺の道』と呼ばれていた道が
住吉街道の原型だとされています。
江戸時代に秀吉によって住吉参詣を兼ねた『住吉街道』として整備されました。
大阪から堺へ至る道は他にも沢山ありましたが、そんな住吉参詣道をひっくるめて
『住吉街道』と呼んでいたのかなと思います。

住吉鳥居前、阪堺線が南北に走る道は紀州街道、
住吉大社を挟んで東側を南北に走る道が熊野街道。
駕籠屋さんが客待ちしていたのは、きっとこの紀州街道でしょうね。
今、地図に住吉街道として名前が載っているのは、大社東門から出て
そのまま真っすぐ東へ伸びている道。ゴールは長居公園です。
ちょっぴり古代を伺うことができる風情ある町並みです。
少しだけ歩いてみることにしました。

初辰さんの赤い旗ひらめく東門から出てしばらく行くと、熊野街道と交差する北東角に
『池田屋』さんがあります。店舗が有形文化財に指定されているこちらはお味噌屋さん。
初代創業は1550年! 元禄時代に創られた大きな味噌樽、白壁に虫籠窓、
屋根の上には住吉さんのシンボル、石の高燈籠が再現されています。

暑い中歩いてきて、店内に入れてもらうとひんやりと、
なんだか時間が止まったようにほっこりさせていただきました。
名物の『住之江味噌』はごまと砂糖で炊いた甘くておいしい舐め味噌。
さっそく香ばしい焼きおにぎりが頭をよぎり、購入致しました。
するとおまけに小さなかわいい器をつけてくださいました。
うれしい! ありがとうございました。

チュンチュン

住吉駕籠_2.jpg

さてさて
住吉さんの前で客待ちしている駕籠屋さん二人。
一人はまだまだかけだしですこぶるずっこけています。
住吉さんの門前の茶店の親父さんから始まって、からかうのだけが目的の夫婦者、
ちょっと尋ねただけのお侍、タチの悪い酔っぱらいなどに絡まれて
さっぱり商売になりません。

えらい目に会う日やなあと思っていると、駕籠の中から呼ぶ声が。
すでに乗り込んで客が言うには堂島まで。堂島は米相場師の旦那さんやった。
景気づけに一杯やってこいと、天保銭までくれて駕籠屋は大喜び。

実はこの旦那さんは二人連れ。駕籠は一人乗りと決まっているけど、
それを無理から二人で乗って帰ろうという算段でした。

この二人、妙な所で出会って、先斗町で遊び、伏見から三十石で天満の八軒家まで。
そこから北新地、ミナミと遊び歩いて住吉さんへとやって来て、また堂島まで帰るという。
交通手段の発達してない時代にこの動き。なんとも豪快な遊び方。
さすが景気の良い米相場師の旦那さん方は違いますね。

駕籠屋が飲みに行っている間にもう一人が乗り込んで、いざ出発。
やけに重いなあ。お客は痩せてたように思うけど・・・重いはずです。二人やもん。

でも結局バレて駕籠屋は怒りますが、割増料金を払ってくれるというので
このまま走ることにします。

途中、駕籠の中の二人は相撲の話で盛り上がり、挙句の果て相撲をとり始めます。
激しく動いたのでとうとう駕籠の底が抜け、今度こそ降りてくれと駕籠屋は怒ります。
ところがさすが堂島の相場師。

「わしらは堂島の中でも強気強気で通ってる相場師や。相場同様いっぺん乗った駕籠、
途中で降りるような、そんな験の悪いことできるかい!」

駕籠は弁償する、駕籠の中で自分たちも歩くというけったいな格好になりまして。

この駕籠を見た親子連れ。子供が父親に尋ねます。

「お父っつあん、駕籠って足何本あるねん?」
「二人で担ぐんやから4本や」
「あの駕籠、足が8本ある」
「そんなあほな・・・ほんに!アレがホンマの蜘蛛駕籠や」

チュンチュン


【本日のよもやま】
駕籠屋さんには2種類あったそうで、ひとつは店を構えて商売している町駕籠。
もう一つは街道筋なんかで客待ちしている、今でいうと個人タクシーみたいなものかな?
こちらは、品行があまりよろしくなく、雲助とよばれて随分恐がられていました。
うっかりこういう駕籠に乗ると、ぜんぜん違う所に連れて行かれたり、身ぐるみ剥がれたり、
酒手ゆすられたりと大変な目に合わされることが多々あったそうで、
そんな駕籠のことをクモ駕籠と呼んで、嫌がられてたそうです。

でも、同じ街道筋の駕籠でも住吉街道の駕籠は違います。
町駕籠同様安心して乗れました。
悪さをすればたちまち住吉大社の前で商売ができなくなってしまうからです。
なんといっても最強のお祓いの神さまですからね!

チュンチュン

住吉は万葉の昔から白砂青松の海岸線が美しく、多く歌に詠まれた
大阪屈指の景勝の地でした。
江戸時代には住吉は大阪の名所中の名所で、『摂津名所図絵』の
最初のページを飾るのも住吉大社です。

太鼓橋を渡ると、その先には白浜が広がり、左に淡路島、右に六甲の山並み。
海にはたくさんの帆掛け舟が浮かんでいます。
海岸の見事な松の梢は打ち寄せる波で花が咲いたように見えたと、
『浮世物語』に記されるほど。
当時の浜の眺めはどれだけ素晴らしかったんでしょう!

太鼓橋から砂浜に続く道の両側には茶店が並び、はまぐり汁を味わう人で大賑わい。
浜では潮干狩りに興じる人が描かれてます。その白浜は出見浜と呼ばれ、
旧暦弥生3日の干潮には遠浅の砂浜がどこまでも続く干潟になりました。
この日は海がすっかり干上がったお陰で、住吉から尼崎までおよそ三里を
一直線に歩いて渡れるようになったとか。
京や大阪からもこの潮干狩りにわんさか人が集まり、
この風景も含めて浪花八景にも数えられていました。

ああ、この時代にタイムスリップしてみたい!

昔出見浜だったところは住吉公園となり、やっぱりたくさんの人が集っています。
潮干狩りで楽しんだのは遠い遠い昔。今や人々はポケモン狩りに夢中です。

チュンチュン

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posted by 庭乃雀 at 01:15| Comment(0) | 大阪編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする