2016年08月11日

死して尚、子を思う母の愛 幽霊飴

ご訪問ありがとうございます。
落語の旅人、庭乃雀でございます。

ひさびさの京都でした。
祇園祭も終わり大文字までの狭間の期間、混雑も落ち着いていることだろうし、
行くなら今と出かけて行きました。
人出は思った通りそれほどでもありませんでしたが・・・

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とにかく暑い!死ぬかと思いました。殺人的な地獄のような猛暑。
暑いはずです。今日の京都は38°! 全国一の気温だったそうです。(>_<)
まさに六道の辻でこんな灼熱地獄に出逢うとは〜

愛宕の寺も打ち過ぎぬ 六道の辻とかや
げに恐ろしやこの道は 冥土に通ふなるものを
心ほそ鳥辺山煙の末も うす霞む・・・
謡曲『熊野(ゆや)』より

本日のお噺の舞台は京都は東山区、六道の辻あたり。
六道の辻と呼ばれる所以は平安京の東の墓地であった鳥辺野に至る道であり、
この地で野辺送りを行ったということによります。
あの世とこの世の境目の辻が、ちょうど六道珍皇寺の境内だとされていて、
本堂裏庭にある井戸が冥界の入り口だと信じられていたそうです。

“入り口があるなら出口もあるよね”
2011年に長年謎とされていた地獄の出口とされる『黄泉がえりの井戸』なるものが
珍皇寺に隣接する旧境内から発見されたされたとか。
魔界好きにはたまりませんね。ある意味パワースポットといえるかも。
入り口と出口、一般公開されていますが、残念ながらお盆行事のこの時期は
非公開になっています。別の季節に是非訪れてみてください。

で、このお寺にゆかりの深い小野篁(おののたかむら)という人が、
その井戸を使って夜な夜なあの世とこの世を行ったり来たり。
このお方、嵯峨天皇に仕えた平安初期の官僚で、武芸に秀で、学者、詩人、
歌人としても知られるオールマイティーな凄い人。
その上、冥界へも自由に行き来ができたとは!
昼は嵯峨天皇に仕え、夜は閻魔大王に仕えたそうですよ。
篁があまりに優れた人+奇行の多い人だった故にできた伝説だとは思いますが。
ちなみに小野道風、小野小町のおじいさんでもあります。

そんな六道珍皇寺、盂蘭盆会の前に行われる『六道参り』の人でいっぱいでした。
門前には迎え鐘を打つ人の長い行列が出来ていました。
水塔婆に戒名を書いてくれるお坊さんたちもみんな汗だくでした。
暑い暑い京都のお盆の行事。六道参りでご先祖様をお迎えしたら、大文字でお送りする。

地獄の釜の蓋も開くこの季節、あの井戸を使ってやってくるのは小野篁だけにあらず。
百鬼夜行、魑魅魍魎たちも嬉々として、京都の町を楽しんでるかもしれません。

チュンチュン

幽霊飴_1.jpg

さてさて
珍皇寺さんの門前に一軒の飴屋がありました。
ある夜更け頃、表の戸を叩く音が。
開けてみると、ひとりのやせた青白い女が立っていました。

「夜分にすみませんが、飴をひとつ売ってくださいませんか」と、一文銭を差し出します。

次の日も、その次の日もやってきて飴を求めて帰ります。
そんなことが六日も続き、なんだか気持ち悪いなあと思っておりました。

その夜店の主人が言うことには、
「明日も銭を持って来たら人間やけど、銭がなかったらあれは人間やないで」

昔人が死ぬと、棺桶の中に三途の川の渡し賃として六文入れる風習がありました。
ちょうど六日で六文。

果たして七日目。やっぱり女はやって来ましたが、今夜は銭を持っていません。
それでも主人は飴を渡してやり、そっと後を付けてゆきました。
女は二年坂を越え、三年坂を越えて高台寺の墓原へと入ってゆき、
ひとつの塔婆の前ですっと姿を消しました。新仏のお墓でした。

すると墓の中から、子供の泣き声がします。
掘り返してみると、子供を宿したまま亡くなって埋葬された女の墓で、
なんと中で子供が生まれたのです。

その子は飴屋の主人が引き取って大切に育てられ、
後に高台寺のお坊さんになったということです。

子を思う母の一念で幽霊になり、飴を買いに来て子供を育てていた。

それもそのはず、場所がコオダイジ(高台寺=子を大事)

チュンチュン

【本日のよもやま】
でも三途の川の渡し賃である六文で飴を買ってしまったから、
三途の川はどうやって渡るの〜?子供を守ることで精一杯だったのですね。
きっと、六文は飴屋の主人がまた持たせてくれたことでしょう。

この飴屋さんは、『みなとや幽霊子育て飴本舗』といいまして
創業500年以上、日本で最も古い飴屋さんとして現存しています。現在なんと20代目。
珍皇寺近く松原通、六波羅蜜寺に向かう道と交差する場所にお店はあります。
黄金糖に似た、懐かしいやさしい味の飴です。

幽霊子育て飴のお話は日本各地の昔話や民話としてたくさんありますが、
落語に仕立てたのは、二代目桂文の助さんです。

文の助さんは明治の末期、高台寺の境内に長年愛用した扇子を納めた
扇塚を建てたのが所以で、高台寺門前・円徳院境内にて甘酒茶屋を始めました。
高座引退後は風流三昧に余生を過ごし、
その甘酒茶屋もいつしか『文の助茶屋』と呼ばれるように。
現在は八坂の塔の近くに場所が変わっていますが、
変わらず東山界隈を散策する人々のお休み処となっております。

幽霊飴_2.jpg

六道珍皇寺からみなとや幽霊子育て飴本舗さん、高台寺と幽霊の足跡(?)をたどり、
最後は文の助茶屋さんにたどりつき、ほっとひといき。
あいにく店内は満席で、店頭のお庭の床几で甘味を頂きました。
暑い中よくぞ歩いたもんだ。風鈴の音、吹き抜ける風が気持ちよく、
甘味が疲れた体に染み渡りました。
町中お線香の良い香りが漂う京都にて。

チュンチュン

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posted by 庭乃雀 at 00:25| Comment(0) | 京都編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする