落語の旅人、庭乃雀でございます。
お盆も過ぎて、暦の上では処暑。暑さのピークは超えたかな。
とはいえまだまだ暑いです。雀にとっては忍耐の日々が続きます。
今回のお噺は、そんなお盆の頃の京都は東山界隈が舞台です。
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で、行ってまいりました。酷暑の京都へ。
阪急は四条河原町で降りて1番出口から出ると、すぐに木屋町、先斗町。
四条大橋を渡ると、右に南座があります。只今改築工事のため休館中。
四条通を八坂さんに向かって、てくてく歩きます。
一本北側が富永町通り。お噺に出てくるおときさんが住んでいた所。
昼間は静かな飲み屋街。夜の灯がともると街の風景もガラリと変わるんやろなあ。
京都らしいお店をあれこれ見ながら歩いていると、程なく花見小路と交差します。
花見小路は明治時代に建仁寺への参道として造られたのが始まりのようです。
南東角に紅殻色と黒のコントラストが美しい町屋が。
祇園で一番格式高い由緒あるお茶屋さんの『一力亭』です。
歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』にも登場し、大石内蔵助が豪遊したり、
新選組の近藤勇、官軍側の大久保利通、西郷隆盛が度々通っていたりとか、
歴史的にも話題事欠かないところです。
紅殻色の地に『一力』と黒で染め抜いたのれんが美しい。
昔ながらのお茶屋さん、割烹料理屋さんなどが並ぶ中、
町家をそのままおしゃれなカフェにしたお店やら、雑貨屋さんが続く
花見小路の石畳をそぞろ歩きます。
すると長蛇の列が。なんの行列かなと思ったら甘味処の徳屋さんです。
とろとろの本わらび餅が絶品だそうです。
もとより並ぶのが嫌いな雀、味わってみたい気持ちはやまやまですが、
この猛暑の中、並ぶ勇気はございません。ここは潔くスルーです。
紅殻格子に犬矢来、軒先でゆれる赤い提灯。
花見小路は昔ながらの情緒がたっぷり。路地を寄り道するのも楽し。
さらに南へ汗を拭き拭き行きますと、祗園甲部歌舞練場に着きます。
芸妓さん、舞妓さんのための歌舞音曲の練習場であり、発表の場でもあります。
春の京舞『都をどり』が有名ですね。
隣接の八坂倶楽部では、只今『祗園花街文化展』が開催されています。
舞妓さんの京舞を鑑賞して、ツーショット記念撮影も出来ます。
舞妓さんの舞、はじめてみました。
小さくてかわいい由喜葉さん。舞姿はとても優雅でした。
何故か隣はJRA場外馬券場です。なんでこの場所にあるのでしょう。
めちゃくちゃ違和感ありますが、暑い時、寒い時の避難所にいいかもです。
雀もちょっと休憩。汗がひいたところで散策再開。
花見小路を突き当たって、左折。
東大路通をこえて下河原通りをまっすぐ上がると八坂神社の南楼門。
鳥居の前に創業室町期の老舗料亭中村楼があります。
その昔、八坂神社の表参道に二軒の茶屋が向かい合ってあり、
親しみを込めて『二軒茶屋』と呼ばれておりました。
その一軒、柏屋の流れをくむのが今の中村楼です。
特に田楽豆腐(祗園豆腐)というのが名高く、
当時調理の様子が都の名物だったそうです。店頭で作ってはったんですかね。
少々敷居が高いので、お隣の二軒茶屋カフェで抹茶プリンをいただきました。
こちらでも田楽豆腐いただけますよ。
お店を出たら鳥居をくぐって、本日のゴール八坂神社に到着です。
いつも四条通の西楼門から入っていたので、あちらが表参道だと思っていましたが、
南楼門が正面だったのですね。長いこと気が付きませんでした。
お噺では、お盆の頃、下河原町通りを南楼門まで、山猫と呼ばれた腕利きの芸者衆が、
揃いの衣装に黒繻子の帯を締めて『伊勢の陽田のひと踊り』と踊っている列の中へ
正気を失った男が血刀さげて切り込むのです。
以上、暑い暑い京都祗園界隈レポートでございました。
チュンチュン
さてさて
伏見に大丸屋という酒問屋がありました。長男の宗兵衛が店を継ぎ、
迎えたお嫁さんは八幡宮宮司のお嬢さんでした。
嫁入り道具の中にあった『村正』と言う刀を弟の宗三郎が気に入り、預かります。
この宗三郎、祗園のおときという芸妓と深く馴染み、一緒になりたいと申します。
兄の宗兵衛、好きなもの同士なら添わせてやろうと心を砕き、
おときには祗園から引かせて、富永町に一軒家を持たせ、3ヶ月の間花嫁修行を。
宗三郎には親戚筋の手前、出養生ということで、木屋町三条で謹慎を。
二人にはその間決して会わないことを約束させます。
ところがもうあと少しで3ヶ月というお盆の頃、近所のお茶屋さんから聞こえる
三味の音『京の四季』を聞きながら、京の景色を見ているうちに、
いてもたってもいられなくなり、おときの元へと走ります。お気に入りの村正を携えて。
一人でやって来た宗三郎を上げるわけにはいかないと頑なに拒否するおときに
怒りが爆発した宗三郎は、脅すつもりで振り上げた刀の鞘が割れ、
おときを斬り殺してしまいます。
そうなると正気を失い、番頭、女中も手にかけ、ふらふらと表へ。
あとは通りがかりの人、近づく人を次から次へ斬りつける。
まるで村正が勝手に宙をきって人を斬っているようです。
盆踊りで賑わう二軒茶屋界隈は逃げ惑う人々で大騒ぎ。
所司代にも知らせが入り、取り方の役人もたくさんやってきました。
たまたま用事で京都に来ていた宗兵衛も現場にかけつけ、説得し鎮めようとしますが
宗三郎はそんな兄にも容赦なく斬りかかります。
ところが宗兵衛は血潮ひとつ流れず、無傷です。不思議に思った役人が尋ねると、
宗兵衛答えて「へえ、私は切(斬)っても切(斬)れぬ、伏見(不死身)の兄でございます。」
チュンチュン
【本日のよもやま】
笑えません。笑えない落語です。個人的には落語じゃなくていいやんかと思います。
実際に京でおこった壮絶な事件をもとにした講釈ネタを落語にしたものだそうです。
明治から大正にかけて名人とうたわれた桂枝太郎という人が、百人斬りのくだりを
それはそれは見事に演ってみせたので、だれにも真似できず高座にかけなくなり、
滅びかけたといういわくつきのお噺です。
笑いはないけど見せ場の多い、演者の力量が必要な大ネタでございます。
5代目文枝さんが1990年に、このお題で芸術祭賞を受賞されてます。
刀のことも少し・・・
刀には2種類あるのだそうで、刀工の心がけがそのまま刀に出ると言われています。
2種類とは『身を守る刀』と『相手を斬る刀』
前者の代表は『正宗』といいまして、守れ守れと鍛えられました。
このお噺に出てくる『村正』は後者の代表。斬れよ斬れよと鍛えられたので、
抜くと血を見ずには納まらんなどと言われ、妖刀、邪刀と呼ばれるようになりました。
対称的なふたつです。
でも結局なんでもそれを持つ人次第ですよね。
自分の弱い心を御せない人が持てばたちまちその刀の妖力に取り込まれてしまう。
妖刀、邪刀といえどもそれを持つ人物の良心が揺らぎないものであれば、名刀となる
ということだと思います。
時として、悪とか妖はとても魅力的。ちょっとブラックな人やものに惹かれてしまうのも
人の性ですかねえ。
チュンチュン
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