落語の旅人、庭乃雀でございます。
今年もやってきました天神祭。
地元の特権、2日間目いっぱい楽しみます。
そもそも天神祭の始まりは、菅原道眞公の怨霊鎮めです。
無実の罪で太宰府に流され、都に帰ること叶わず生涯を終えた
道眞さんを少しでも慰めようというお祭りです。
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道眞が無念のうちに生涯を終えた後、天変地異が多発、都は疫病が大流行。
道眞を失墜させた張本人の藤原氏の家系にも不幸が続きます。
これはきっと道眞公の祟りに違いないと怖れをなして神社をつくり、
神としてお祀りします。これが天満宮、天神信仰の成り立ちです。
とにかく道眞さんを楽しませなくちゃいけないから趣向は盛りだくさんです。
当日は鳳凰の飾りのついたお神輿(御鳳輦)に乗っていただいて
川岸までお運びいたします。(陸渡御)
次に舟にお乗り換えいただいて御旅所までお連れいたします。(船渡御)
その道中のにぎやかなこと〜!
催太鼓に山車囃子、龍が踊り、獅子舞を先頭に傘踊りの列が続きます。
神輿は鳳と玉の2基。文楽の船やお能の船、どんどこ船が行き交い、
とどめは夜空に景気よく打ち上がる花火。
花火を楽しんで頂いた後はまた、陸渡御でお宮にお帰りいただきます。(宮入り)
朝から晩まで目一杯。道真さん、今年も喜んでいただけたでしょうか?
おかげさまで大阪の地は平安です。道真さんの御霊も平安でありますよう
氏子一同こころよりお祈り申し上げる次第でございます。
チュンチュン
いつもは本宮祭を見て、陸渡御列をいってらっしゃーいとお見送りするのですが、
今年は乗船場から船渡御列が出発するのを見送ることにしました。
天満宮の大門を出発した陸渡御列は表参道を南下して西天満交差点を右折、
老松通りから大江橋を渡って市役所前で催太鼓のからうすを披露。
このあたりは近代レトロな建物が多数あり、大阪屈指のおしゃれな場所。
特に難波橋は、パリ、セーヌ川に架かるヌフ橋をお手本に造られたと言い、
橋の北詰め南詰めにそれぞれ2頭、ライオンの石像が鎮座しております。
私たちが親しみを込めてライオン橋と呼ぶ所以でございます。
それぞれ、阿吽を現していてヨーロッパ調にしたかったくせに狛犬ですやん。
天満橋、天神橋とともに『浪花三橋』と称され、当時は巨大な木製の反橋で、
遠く山々を見渡せ、ここからの眺めは絶景といわれていました。
夏場は吹き抜ける風が気持ち良く、夕涼みのメッカとなっていたそうです。
その様子は浮世絵や錦絵に描かれるほど有名で、橋の袂には茶店が並び、
川には沢山の遊山船や茶船が行き交い、人々の憩いの場所となっていました。
エアコンなんてものができ、快適に過ごせるようになった今でも、
人は涼を求めて水辺に集うのです。茶店はリバーサイドカフェやらレストランやら、
おしゃれな名前に変わり、みんな今風夕涼みを満喫しています。
難波橋北詰めを右に折れ、賑やかな傘踊りの列とともに、
いよいよ天神橋北詰にある乗船場へ。ここから船渡御がスタートとなります。
子供の獅子が楽しげに跳ね踊る姿を橋のライオンが見送っています。
天神橋から神興船が出航してゆき、屋形船、納涼船、どんどこ船が行き交う様子を
しばし楽しみました。
夕暮れとともに船の灯と、空の花火のきらめきが川面に映えてきれいやなあ。
この光景は昔も今も変わらないのです。千年変わらず続いてるってすごいことやなあ。
チュンチュン
そんな難波橋(浪花橋)での夏の様子が描かれているのが、本日のお噺『船弁慶』です。
さてさて
暑い暑いある夏の日のこと、清八が喜六を船遊びへと誘いにやって来ます。
気の置けない友達だけで船を出し、3円の割り前(割り勘)で遊ぼうというもの。
喜六はいつもおごってもらってばかりで、馴染みの芸者衆からも『弁慶はん』と呼ばれています。
なぜ弁慶かというと、弁慶がいつも義経のお供で出てくることから、誰かのお供で自前で来ない
お客のことを花柳界の隠語でそう呼ぶのだそうです。
3円も大枚はたいて弁慶なんて呼ばれたらアホらしいからいややという喜六に、
もし芸者が弁慶のべの字でも言ったら、割り前はとらないことにすると清八が言うので、
それならと出かけることにします。
けれども喜六は大の恐妻家。近所から雀のお松とか雷のお松とか、ふたつも異名をとるくらいの
しゃべりで気の強い嫁さんには、自分だけ散財して船遊びに行くとは言えません。
友達の喧嘩の仲裁にどうしても喜六が必要やと清八がごまかしてやっと家をでることが出来ます。
難波橋へとやって来たふたりは、通い船を経由して『川市丸』という船に乗り込みます。
船では友達や芸者たちが待っており、すでにお酒がまわっていい気分。
喜六は割前を払いたくないので、芸者から「弁慶はん」とよばれるのを期待しましたが、
なぜだか今日に限って誰も言いません。ぬかりない清八が先回りして口止めしていたのでした。
喜六は割り前分、遅れてはならじとがんがん飲んで食べまくってすっかり泥酔状態です。
着物を脱いで赤いふんどし一丁になります。
それを見た清八、面白がって自分も白いふんどし一丁に。
二人で船尾に出て、赤と白の源平踊りを披露します。
一方お松さんの方も近所のおかみさんに誘われて、夕涼みに難波橋へとやって来ます。
橋から川を眺めていますと、酔っ払って船尾で踊る喜六と清八の姿が!
頭にきたお松は通い船をつかまえて自分も川市丸へと乗り込みます。
びっくりしたのは喜六。怒って喜六の顔をひっかくお松を思わず川へ突き落としてしまいます。
幸い川は浅瀬。
何を思ったのかお松さん、川の中に仁王立ちになり、ちょうど流れてきた竹竿をひろって
「そもそも我は桓武天皇九代の後胤、平知盛亡霊なり〜」
と船弁慶の祈りの場面、知盛を演じ始めます。
それを受けて喜六、芸者からしごきを借り、それを大きな数珠に見立てて
「東方降三世夜叉明王、南方軍荼利夜叉明王……」 船弁慶の祈りの場面の弁慶です。
橋の上では、野次馬が大喜び。
「派手な夫婦げんかとみせかけて船弁慶のにわかやってまんねんな。
これは褒めなあきまへん。」
「本日の秀逸秀逸〜川の中の知盛さんもええけど、船の中の弁慶はん、弁慶は〜ん」
「何?弁慶はん言うた〜清やん、今日の割前とらんとってな」
チュンチュン
【本日のよもやま】
いわゆるハメモノというお囃子がたくさん入る、にぎやかで楽しいお噺です。
なんと4種類も曲が入ります。
喜六と清八が渡し船に乗るところでは『縁かいな』
こんな歌です。
♪夏の遊びは難波橋 対の浴衣に鼓桶
簾下ろして忍び小間 笹が取り持つ縁かいな♪
船でどんちゃん騒ぎをするところでは『まけない節』
お松さんが通い船に乗ってやってくるところでは知盛の洒落で地唄の『八島』
途中から『竜田川』と言う騒ぎ唄に変わります。
お噺の流れに沿って曲の内容が変わり、趣向をこらしてあるのです。
最後はガラッと能舞台のパロディーになり、笛と〆太鼓で決まります。
下座さんの腕の見せ所。噺家さんとイキがぴったりあって成り立つお噺ですね。
ところで、天神祭の日は、なんと1,000年間雨が降ったことがないといいます。
これ大阪の七不思議にぜひ加えましょう。
今年も午後から土砂降りと天気予報は発表していましたが、
一滴たりとも降りませんでした。道真さんを楽しませなくちゃいけませんから、
何が何でも雨に降られては困るのです。
お祭りが終わって、街が静かになった未明ごろようやく降り出し、
次の日は土砂降りでした。まるでギリギリまで何かの力で止められていたように!
これも怨念のなせる技かしら〜
チュンチュン
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