落語の旅人、庭乃雀でございます。
帯屋が舞台になるお噺といえば・・・
『柳の馬場押小路虎石町の西側で、主は帯屋長右衛門。』
落語ファンならば一度は訪れたいと思っている、
もしくは行ったことのある場所ですよね。
もちろん雀も!
でもその前に、帯屋が舞台のお噺、大阪にもあります。
東横堀に沿う町筋、旧名大阪市南区瓦屋町の2丁目と3丁目で
商う呉服屋さんのお噺です。
チュンチュン
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お噺の舞台、瓦屋町は中央区瓦屋町となって今も健在。
谷町九丁目から松屋町筋を北上して、お噺の地名に行ってみました。
三丁目にええもん泉屋与兵衛、2丁目の角に悪もん帯屋久七の
お店があったという設定。
三丁目はちょうど瓦屋橋が架かっているあたり。
この橋の東詰一帯は当時南瓦屋町と呼ばれ、徳川の御用瓦師
寺島宗左衛門のお屋敷がありました。
大阪夏の陣で消失した大阪の町を建てなおすために、
大量の瓦が必要となり、この地にたくさんの瓦職人が集まって
瓦を焼いていたのが町名の由来です。
職人の仕事ぶりは『南瓦屋町の瓦師』と題して摂津名所図会にも
載っていて、瓦だけでなく大きな鬼瓦やしゃちほこまで作っている
ところが描かれています。
その最盛期に御用瓦師となって代々瓦を製造し、瓦師を支配していたのが
寺島藤左衛門で、宗左衛門は二代目です。橋に瓦屋橋の碑がありました。
昭和三十年頃までは、まだ瓦屋さんが数十件、営業されていたそうで、
米朝さんが米朝ばなしを書かれている頃には、三丁目にたった一軒に。
その瓦屋さん、もしや今も営業されているかもと、期待を持って探して
みましたが、やはり、瓦屋町というのは名前だけになってしまったみたいです。
ところで、ずっと北上していくと、人形の町まっちゃまちになるわけですが、
なぜこの地が人形の町になったかというと、これが瓦づくりに端を発するのです。
職人さんが仕事の合間に作った素焼きの人形がえらい評判になり、
店が並ぶまでになったとか。そして現在に至るです。へええ〜〜
さてさて
瓦屋町2丁目の角に帯屋久七、3丁目に泉屋与兵衛が店を構えて、
同じ呉服屋を営んでおりました。泉屋の方は主の人望も厚く、
店はたいそう繁盛しておりましたが、帯屋の方は『売れず屋』という
異名をとるほど、閑散としております。
ある年の暮れに節気の資金繰りに困った帯屋は、泉屋に20両のお金を
借りにやってきます。泉屋は「あきんどはお互い様」と言って、快く
判も証文もとらずに貸してやります。帯屋は年内に全額返しに来ます。
節気というのは集金、支払いのことで、当時6月、12月の大晦日と
その間に中払いと言って3月と9月、合計年4回ありました。
帯屋はその後3月の節気に30両、6月の節気に50両借り、いずれも
20日ほどで返しに来ます。9月の中払いにまた百両借りましたが、
それは年末になってようやく返しに来れました。大晦日の多忙中、
泉屋は帳面に受け取りの判を押したところで、他の客の対応に
席を外してしまいます。今返してもらった百両をそのままにして。
帯屋は目の前の百両をまた自分の懐に入れて帰ってしまいます。
帯屋はその百両を元手に“晒1尺買って頂いたお客様にももれなく
粗品進呈”というキャンペーンに打って出ました。これが大当たり!
店は大繁盛しました。
お金の神さまは、この日を境に、泉屋から帯屋へ移ってしまったよう。
泉屋の方は、一人娘と妻を相次いで亡くし、番頭に金を持ち逃げされ、
挙句の果てに、大火事で店は全焼。何もかも失ってとうとう病気で
寝込んでしまいました。
別家させていた番頭の武平に世話になり十年。ようやく病も癒えて、61歳
還暦本卦還りとなりました。武平にもう一度泉屋ののれんを挙げさせようと
帯屋に元手を借りに行きますが、手ひどく罵倒され、キセルで眉間を
割られてしまいます。あまりに悔しくて魔が差して、
帯屋の裏手に火をつけようとして奉行所に捉えられます。
ここからお奉行様の名裁きとなります。結局帯屋から元金百両を返させ、
十年間の利息としてあと百両を出せとなります。帯屋の番頭の采配で
50両をその場で返し、残金50両を年1両の年譜で支払うと書類が出来ます。
泉屋については、火炙りの刑を行うが、刑の執行は、残金50両を受け取った後、
すなわち50年後の執行とすると沙汰が決まります。
この沙汰に不服な帯屋は、今すぐ50両払うので、即刻刑を執行して欲しいと
訴えますが、お奉行様に一喝されます。
無事一件落着!
泉屋、お奉行様に歳を聞かれて61歳と答えます。
「61とは本卦じゃな」
「いえ、只今は別家に居候しております。」
チュンチュン
いわゆるお奉行さまの名裁きで一件落着となる、今ならば池井戸潤さんの
小説みたい。半沢直樹か花咲舞か、最後にスカッと胸の空くような結末を
迎える勧善懲悪ドラマというところでしょうか。
だいたい勧善懲悪ドラマでは悪役が非常に重要!
どれくらい悪に徹底してるかで結末のスカッとさが決まります。
観客に憎まれれば憎まれるほど、ドラマの精度は上がりますし、
見ている方は断然燃えます。ここは俳優さんの腕の見せどころ。
その点落語は大変です! ええもんも悪もんもたった一人で演じるのですから。
泉屋与兵衛、帯屋久七、お奉行様を演じ分け、最後はスカッとさせ、サゲる。
難度の高いお噺ですね。米朝さんで聞きました。
語りはさすがです! お奉行様かっこいい! ビシっと決まってます。
なんですが・・・
このお噺、お奉行様のお裁きは見事で痛快なんですが、なんだか
悪が弱いような気がして、いまいち善に共感できない感じなんですよね。
そもそも帯屋はそんなに悪党か?
ちゃんとお金は返しに来たのだし、百両を粗末に扱ったのは泉屋の方。
証文も利子も取らずにお金を貸すことがいいことなのか。
泉屋はええかっこしいです。そのええかっこしいが、帯屋の悪の心を
引き出してしまったのです。
結局お金を大事にしなかった泉屋にお金の神様がご機嫌を損ねた
ということじゃないかしら。
余裕のなかった時には出来なかった、粗品進呈キャンペーンも大成功!
ちゃんと集客のアイデアもあるし、商売人としては帯屋の方が才能あったのかも。
って雀、めっちゃ悪役の味方やん。
でもちょっとのことで、ガラッと立場は入れ替わってしまうもんなんですね。
そういうとこも演じきらなければいけない。
やっぱり難度の高いお噺ですねえ。
【本日のよもやま】
このかっこいいお奉行様は、松平大隅守。西町奉行所にお勤めでございます。
大隅守と言うのは官職名で、薩摩守、大隅守は島津家が独占する名乗り
だったそうです。島津家は江戸時代のはじめ、徳川の旧名字である松平を
拝領したとあるので、この方は島津の方なんですね。
大阪は西と東に奉行所があり、西町奉行所は今、マイドームおおさかと
なっている所にありました。正面玄関とぐるっと回りこんだ西側に
“西町奉行所跡”の石碑が建っています。
側を流れる東横堀川に面して天野屋利兵衛と西鶴の文学碑もあって
隠れた史跡スポットとなっています。
本町橋辺りはレトロな建物も多く、おしゃれなお花屋さんやカフェになっていて
好きな場所です。
本町橋の西詰に創業105年の老舗喫茶店、ゼー六さんがあります。
あー懐かしい! 昔よく仕事先にアイスモナカ差し入れに持って行ってました。
ちょっと小ぶりの、アイスクリームとは違う“アイスクリン”です。
久しぶりに食べたくなりました! 寄って帰ることにします(^o^)
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